人類誕生記 年記 メモ

300万年〜150万年前アフリカでは、6種類の人類が生息していた

ホモ・サピエンスは20万年前〜10万年前にアフリカで出現

6万年前にアフリカを出た

単一種仮説は否定

太古の日本列島は熱帯から亜熱帯、ナウマンゾウやワニが生息していた

この頃のヒトはネアンデルタール人とホモサピエンスが混在

日本列島ではないかも     海面は高い?

BC12万年前 出雲 砂原遺跡 打製石器 発見 (ネアンデルタール人?)

打製石器はサルでも作ることがある

 

7万年〜3万年に認知革命が起きて ホモ・サピエンスが人類の頂点に達する

認知革命とは、サピエンス全史によれば、それまでの人は、コミニュケーションは取れるものの

神や妖精・精霊などの信仰のような想像上のものを伝えることができなかった

しかし、ホモ・サピエンスだけは突然その能力に目覚め、信じるものを作り出すことにより

グループが巨大になることができた、そのため他のサピエンスたちを圧倒し、

あるいはうまく距離をおき、人類の頂点か、ただ生き残っただけかは不明だが、

現在の唯一の人類になることができた、これを認知革命と呼ぶ、

 

そしてついに人類は日本にたどり着き、文明を開花させていく

世間一般、主に日本に置いてだが、世界四大文明が始めの文明と思い込んでいるフシがある

しかし、単純にその前にシュメール文明があり、その前に縄文があるではないか、

縄文の前、便宜上、遺跡の名前をとり、岩宿文明と呼ぶが、その文明はどうなるのか、

人が集まり、集落を形成し、暮らしたならばそれは文明ではないのか、

しかも、世界最古である、磨製石器が日本で見つかっているとなれば、文明の起こり

文明のアケボノは日本と言えるのではないか、しかしなぜか、そうはならない

しかしその中身を知れば、自ずと変わって行くのではないか、

それでは中身を年記形式で見ていこう。

 

4万年前に日本列島到達 現在より海面は60m低いが列島は島であり船を使用していた

伊豆諸島の神津島(こうずじま)にある黒曜石が本州で見つかっている

神津島までは何十キロもあり、その間は黒潮が流れている、

よって帆を使用していたこともわかる

黄海はほぼ陸地だが海で隔たりがあった 

朝鮮半島は大陸の一部で山岳地帯

どこからか日本列島にやってきて文明を作り出したそれが岩宿人(最初の日本人)

どこからやってきたのかそれまでの文明の痕跡なしやってきて発達したと思われる

 

BC38000長野 貫ノ木遺跡(かんのき)

BC35000 群馬 岩宿遺跡発見 岩宿時代 日本で磨製石器が発見される 海面120m低い

『世界では一般的に磨製石器は1万年前から』(オーストラリア3万年前)(シベリア2万2千

支那1万5千年 朝鮮7千年前から磨製石器を使用している

岩宿時代 局部磨製石斧(せきふ)発見

北海道から九州まで遺跡は分布

 

BC23000 沖縄 サキタリ洞 最古の釣り針発見 (次パプアニューギニアBC18000)

BC20000

この間は日本列島での遺跡の分布は関東甲信と九州がもっとも遺跡の数か多い(後期旧石器)

ついで北海道から越後に多い10150ヶ所に登る ちなみに同じ年代で韓国は199ヶ所

BC16300 青森で土器発見(大平山元Ⅰ遺跡) 模様なし

 

BC11000 縄文時代 縄文草生期   ビュルム氷河期終結  海面上昇

世界で磨製石器が使用されるようになる 日本より2万年以上遅い

BC8000 縄文海進 縄文早期 海面上昇

BC7000 薩摩硫黄島の大噴火 縄文早期

日本最初の危機 火山灰が編成風に乗って列島を覆う 呼吸困難で縄文人死滅

編成風の影響の少ない出雲など山陰と一部は無事だったがほとんどの縄文人が死滅

一部は朝鮮や大陸に渡ったと思われる そもそも海洋民族だったので船で環太平洋で

周辺に散った可能性もあり、ポリネシア・インディアン・マヤ・インカ・アボリジニ

皆、精神文明

列島に残った人々と出戻りの一部がその後の日本を作った

 

BC6000 支那大陸 長江(揚子江)中流域で水田稲作

 

BC5000 シュメール誕生

 

 

BC3500〜2000 三内丸山遺跡(青森) 縄文前期・中期 1600年間 継続居住

住居の数は3000棟以上 遠方との交易 航海技術

土偶

稗(ひえ)粟(あわ)栗(くり)ソバ 豆類を栽培 酒をカモす 竪穴式住居

(大規模集落 青森) 

巨大な柱を使った建築物 土木技術があったと思われる

岡山県彦崎貝塚 稲の陸稲栽培が行われていた 大量のプラントオパール発見

 

BC3000〜2500 エジプト メソポタミア インダス 黄河文明 起る 縄文中期

 

 

BC2000〜1500 世界的カオスの時代 殷・周など殺戮の時代 縄文後期(寒冷化)

青銅器

殷 甲骨文字

シュメール等の巨石文明崩壊インダス

ノアの箱舟伝説(人のカオスから逃れたか) この時、神人分離の革命がおこり神を対象として見るようになった、それまでは人は神の子として認識されていた、そして今日の世界観が生まれた。しかし日本だけは、アマテラスの子孫として天皇がいてその宝として国民がいるというそれまでの概念が少し残った

依然として日本は太古の昔からアニミズム的な宗教観

なぜ世界的カオスが同時に起こったかは謎 民族大移動か、気候か、天災か、

なぜ縄文人は巻き込まれなかったのか?(BC660〜200)

BC1320 ユダヤ教 モーゼ出エジプト

 

BC1000〜500 宗教時代 ゾロアスター ギリシャ 釈迦 誕生 春秋 縄文晩期(寒冷化

BC8世紀ギリシャ

BC7世紀ローマ BC6世紀 話し合いの政治(共和制)誕生

 

鉄器

ヒンドゥー教 仏教

弥生時代   天孫降臨

日本では鉄器と青銅器を同時に使い始めた 農耕用と祭祀用

水田稲作

弥生土器

日本国家の成立はこのカオスの時代に対しての応戦であった、しかも世界でただ一つの応戦であった、儒教や仏教などの精神の応戦もあった 神道

日本は島国でカオスの影響を減少できたから

儒教も仏教も日本においてのみ、その本質をとらえ日本化していった

BC700 殷 周 滅亡 春秋突入

 

BC400 吉野ヶ里遺跡 防衛を目的とした環濠集落(佐賀) 高床式住居 主祭殿 王の概念

古代国家の原型 邪馬台国?卑弥呼?

 

BC221 秦(しん) の始皇帝が支那大陸を統一 15年で滅亡 になる

400年間栄え 前漢 後漢 AC220まで AC200から 三国志に突入

この頃、衛氏朝鮮が誕生するが100年で漢に滅ぼされ400年間、漢に支配される(楽浪郡が置かれた)

BC100 倭国 小国が分立 漢書(地理史)漢に朝貢する国あり

有力な勢力 大和 出雲 吉備 邪馬台国 熊襲 西日本に集中

それまでは気候の関係で青森などが中心 寒冷化のため西日本に移った可能性

 

紀元前後 高句麗誕生

 

BC70年ごろ 神武東征 ヤマト王権 誕生 大和朝廷の前身

紀元0年前 キリスト教 新約聖書

 

57年 後漢書 東夷伝 奴国王が朝貢 金印を授かる 漢委奴国王(かんのわのなこくおう)

 

107年 後漢に奴隷を献上 (高貴な人との説あり)

2世紀後半 190年? 倭国大乱 卑弥呼?

西日本を中心に高地性集落が作られる 総社など防衛に特化 吉野ヶ里遺跡など 

魏志倭人伝 後漢の後の三国志の魏 の書物

『倭国は最初男王、しかしすぐに国は乱れ、女性の卑弥呼を立てた、卑弥呼は鬼道に通じ

うまく人々を治めた、238年に魏に朝貢、親魏倭王の称号を得る、247年狗奴国との戦いの最

中に卑弥呼は没し100mほどの塚に埋葬された、男王を立てるも国はまとまらず、13歳の女王

壹与(いよ)を立て、政治的統合をはたす』

3世紀半ばに壹与が朝貢した記録以降、邪馬台国は歴史から姿を消す

3世紀の前半に自ら滅ぶか、自然とヤマト王権に組み込まれたかは定かではない

ちなみに邪馬台国は北九州のいち政権であり、そのほかにも出雲や吉備など有力な勢力がいた

邪馬台国が有名なのは兆候により、魏志倭人伝で文字として残っているからであり、

邪馬台国=倭国であり、その他の勢力はまた違う名前 ヤマトなどであり別物である

現に邪馬台国では黥面(入れ墨)文化があり、ヤマトにはない、古事記にもその記述が

出てくる(神武天皇の嫁探し)

 

 

3世紀 古墳時代 前方後円墳出現 纏向遺跡(まきむく)

埴輪

 

7世紀 ムハンマド ア・ラー イスラム教

 

 

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