国土学が解き明かす 日本の再興

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われわれ日本人とは何者なのか、

われわれ日本人とはいったい何者なのか、

現在、GDPでは中国に抜かれ、第3位になり、

自信を喪失してしまっているのではないでしょうか?

しかも、海外の人々と考え方が違い、なぜそうなるのか?なんでそんなことするのか?

など、彼らの思考がわからないままでは、世界と渡りあうことは出来ません。

現在の日本は、世界に遅れをとっていると言っても過言ではありません。

世界の思考を理解し、なおかつ自分たちのことを理解していかなければ、いけません。

輝く日本を取り戻すには、われわれは日本人であることを、しっかり認識する

ところから始めるしかないのです。

今回は、大石久和著・国土学が解き明かす日本の再興から読み解いていきましょう。

 

世界の紛争史観と日本の災害史観の視点から読み解く

われわれ日本人は災害史観という目で社会を見ている。

人は災害で死ぬ、という感覚、

海外では人は紛争で死ぬという感覚です。

これが日本人と海外の根本的な違いです。

わが国は災害にも負けず、とにかく国を存続させることを、国家理念として生きてきました。

しかし海外は、紛争にとにかく勝つことを何にもまして優先してきたのです。

これが紛争史観であります。

国歌にもそれが表れています、わが国の国歌は『君が代』の「さざれ石の巌となりて

は、この国が永遠に存続することを願った歌であり、存続こそが国の理念なのであります。

これが海外になると、例えばアメリカの国歌『星条旗』(The Star-Spangled Banner/スタ

ー・スパングルド・バナー)の歌詞は、

1812年に勃発した米英戦争における史実が元になっています。

続きゆく国がわが国なのだという感覚はない、国とは勝ち取っていくものだという感覚です。

イギリス国歌も、フランス国歌も同じ、

中華人民共和国『義勇軍行進曲(進行曲)』も歌い出しが、

さぁ立ち上がれ奴隷を望まぬ人々よ」です、紛争史観そのものですね。

 

城壁都市みる、日本と海外の違い

海外では都市(city)シティとは、ラテン語の『civitas』キウィタスから来ている

この言葉の意味は「壁の中に人々が密集している場所」となる、つまりcityとは

周りに壁があることが前提になっているのです。

なので都市cityとは紛争に備えた、防御装置がなければ安心して人々が集まれなかったという

ことを表しています。

これは、彼らが、悲惨な紛争や虐殺などを経験してきたことを教えてくれるます。

一方日本は、城壁都市というものは存在しません、

城壁とはお城などはありましたが、人々が暮らす都市には壁はなかったのです。

イメージも湧きません、日本人が城壁の中で暮らしている姿などは。

しかし逆を言えば、海外では壁、つまり人々を守るインフラ設備を最大級に重要視する、それ

は彼らがインフラによって命を助けられたという経験を積んだということで、現在でもインフ

ラ投資を海外では重要視する、しかし日本では、インフラによって命を助けられたという経験

を積まずに済んだことにより、現在でもインフラへの関心はうすいです。

城壁内で暮らすには、ルールが必要です、

城壁内に住む権利・これは命を守る権利であり、

当然義務が発生する、平時では城壁内では自分勝手は許されないし、

有事が起こったらすぐさま義務が発生し、守りにつかなければなりません。

顔見知りではないものたちが、一個の運命共同体となるのです、これを市民と呼びました。

しかし、日本ではこういった危機をあまり経験してこなかったために

日本人は市民になったことは一度もありません。

国民であり、天皇の宝、として存在してきました。

 

一方、シナ大陸では、欧州と同じように、城壁都市を作りました、

しかし欧州ともかけ離れた、脅威が周りにいたため、欧州でいう市民の感覚ではなく、

暴力と権力を信仰する方へ進んでいきました。

暴力と権力こそ自分たちを守ってくれるという概念に到達してしまいました。

それは現在でも続き、中国の社会秩序は個人の時間や空間を最大限にまで制限する、

また中国の秩序を形作っているものは、むき出しの政治権力なのです、

 

これはシナ大陸という広大な土地を支配するために、

暴力や権力がむき出しにせざるをえなかったとも言えます、

日本人から見たら、残酷すぎる虐殺や暴力、拷問などは、

残酷すぎるがそれは日本人の見方なのです。

しかし、残虐な行為をしてまでも達成すべき価値あるものなど、この世の中に一つもない

という感覚が日本人であります。

しかし彼らはそうではなく、目的達成のためには大量虐殺や暴力は、

やむをえなかったという感覚なのである、日本人はそんな彼らを相手にしているということを

よくよく理解しておかなければならない。

日本の政治家がよく「腹を割って話あえば理解し合える」ということを言っているが、

そんな感覚・人間観ではやられてバカにされるのは、日本人なのだということを、

よくよく理解しておかなければならない。

よく理解しておかなければならないのは、

欧州や中国の人々ではなく、圧倒的に少数のわれわれ日本人なのです。

 

世界の外に立つ日本

日本の地政学的優位性は、大陸からのちょうど良い距離が対馬海峡で隔たれていることです。

あの対馬海峡があるおかげで、わが国には、外国から攻められたことが、

先の大戦以外では元寇(げんこう)ぐらいしかありません

欧州のイギリスに地政学的には似ていますが、決定的に違うのが、海峡の距離です。

イギリスとフランスのドーバー海峡はわずか30kmしかありません、

現に何回も戦争をしています、よってイギリスは欧州文明の一部であります。

日本の対馬海峡は200kmもあり、軍隊を簡単に輸送知ることができず、

海に守られた国家と言えます。

したがって、日本は大陸からちょうど良い距離があり、攻められもせず、

文化も取捨選択ができ、取り入れた文化を自分たち流にアレンジし、

日本独自のものに昇華させてこれたのです。

ちなみの、これは日本人のもっとも得意としている事でもあります。

日本人というのは、0から1を作り出す能力はあまり高くはありませんが、

今あるものを、独自にアレンジし、より良いものを作りだす能力がとても優れているのです。

例えば、種子島の火縄銃しかり、日本刀や仏教、近年では車や電化製品です。

(残念なことに、現在では海外に大きく抜かれてしまいました)

なので、今からでも、日本の得意としている気質で取り戻して行かねばなりません。

話が逸れてしまいましたが、よって日本は、独自の文化であり、

中華文明の一部ではありません。

サミュエル・ハンチストンが世界の文明を7つに分類していますが、

日本は独自の文明と定義されています。

世界と異なる日本人の感覚と思考

良し悪しを別として、分かりやすい、日本人と世界の人々の感覚と思考の違いの

例をあげてみたいと思います。

それは、玄関のドアの開き方です、どういうこと?という声が聞こえてきそうですが、

日本のドアの開き方は例外なく外向きに開きます、われわれ日本人にとっては当たり前

ですが、海外の人々にとってはこれは当たり前ではないのです、海外では、ほとんどの場合

ドアは内向きに開くのです、なぜかと言いますと、もしドアノブが壊されて暴漢が襲ってきて

も、ドアの内側に家具などを置けば、侵入を防げるからなのです、民間レベル遺伝子レベルで

自らの命は自ら守るという、安全保障の概念を持ち合わせているのです。

このドアの開き方の事例からもわかる通り、われわれ日本人は日常生活でも安全保障を

最優先事項として考えてないのです、それは国家レベルにおいても安全保障観念を獲得できて

いない日本人が多いことでも明らかです。

内向きドアでは玄関内に物を置くことはできません、しかし不便さを引き換えにしても彼らは

いざという時の備えを怠らないのです

 

このように、日本人と海外の人々との感覚や思考は違い、現在の世界で日本が歩んでいくには

彼らはこのように思考する、われわれはこのように捉え思考するという自覚がなければ、

痛い目にあうのは、圧倒的に少数派の日本人なのです。

現に株式の世界では、海外の投資家は自分たちが売り抜いて儲けて、

損な役回りは日本人に押し付ければいいというのが常識になっているそうです。

交渉ごとにしても、日本人は、譲り合いの精神を大事にしてきました、

今回は譲る、相手は前回譲ってもらったから今回は譲るといった感覚です。

しかし大陸の文化では通用しません、

大陸の感覚だと、「前回譲ってくれたのに、なんで今回は譲れないのか」

といった感覚なのです。

日本人とは根本から考え方が違うのです。

日本人は海外の人と、思考の違いをもっと自覚するべきなのです。

今日はここまで、最後まで読んでくれて、ありがとうございます。

 

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