海外の著名人から見た日本

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はじめに

われわれ日本人は、海外から見て非常に特殊な民族であり、

海外、特に大陸国家の考え方と島国国家の日本とでは、考え方が真逆な場合があります

われわれ日本人は、外敵との戦いを先の大戦以外では、

朝鮮の白村江の戦いと、元寇ぐらいしか経験していません

比べて大陸国家では、隣あう国との戦争を常に経験し、

常に戦いの中に身を置いていたのです、

その境遇から考え方の違いがもたらされ、

海外と日本の余計な摩擦や理解されない行動などが生まれます、

例えば、先の大戦で捕虜になった兵士が日本国内で収容されていました、

大戦末期では、食べ物も少なく日本人が食べるのもやっとの状態でした、

しかし、捕虜を収容していた監督官は、なんとか捕虜に食べさせなければなりません、

そこで日本人は、山に入り『ごぼう』を掘って捕虜に与えました、

『ごぼう』はとても栄養価の高い植物です、しかし戦後の東京裁判では、

その捕虜の証言は『捕虜だった私に日本人は木の根を食べさせるなどの虐待をした』

との証言をし、その日本人は有罪にされました、

日本人からすれば食べ物でも、海外の人には木の根にしか見えなかったのです、

気持ちも伝わらず、悲しい事実であります、

このような誤解や余計な摩擦を無くすためにも、海外の人から見た日本人

海外から見た日本人の民族性などを知る事が大事だと思います、

そこで、日本国内で日本人が考えても、あまり分からない事を、

海外からの目線で、なぜその民族が成立してきたかを、

海外の著名な人々が日本を訪れて記録に残しています。

その一部をご紹介します。

アインシュタイン

アインシュタイン・1922年に来日

日本人を見ての言葉『私の今まで出会ってきた人々の中で、日本人が一番好きだ、彼らは謙虚

で物分かりがよく察しがいい、それに技術に対する勘が鋭い』と感想を述べ、

『日本人は西洋の知識に感激し、理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいる、

けれども本来持っていた、謙虚さ・質素・日本人の純粋で静かな心、

それらすべてを保ったまま、忘れずにいて欲しいものです。』と懸念を述べています。

ソ連共産党記者

オフチンニコフ・ソ連共産党記者 1962年来日

日本人はなぜ自然を愛するのか・『中国人は論理学が宗教の役割を果たしているが、

日本人は、美学が、つまり美しいものへの崇拝が、同じような役割を果たしている、

日本人が美しいものを愛する根本に、自然愛があるのだ』

『中国人の芸術は、人間の手の全能を主張している、ところが日本人の芸術家は、

自分の意思を素材に押し付けない、ただ素材の中に自然を入れて、美を表面に表すだけ』

駐日大使

ライシャワー・1961年から駐日米大使

なぜ日本人は勤勉なのか・『日本の気候は四季があり、その限られた時期に生産可能な時に熱

心に働かざるをえないため、勤勉で衰えを知らないエネルギーを持つに至った。』

『また、日本には台風や地震・火山活動のように自然災害がある、

しかし日本人は自然災害を宿命的に受け入れ、自然との調和を求めて暮らしてきた、

災禍に見舞われても、その中から立ち上がり新規まきなおしで再出発をはかってきた、

その自然との調和や、まきなおしにかけて、日本人は大変な能力の持ち主である』

宣教師

フランシスコ・ザビエル 1549年 来日 キリスト宣教師

『この国の人々は他の異教徒の中でも、もっとも素晴らしい民族です、

日本人より優れた民族を他に知らない、

彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません、

また驚くほど名誉心が強い人々で、他の何よりも名誉を重んじます、

侮辱や軽蔑されて黙っている人々ではありません、武士たちがいかに貧しくとも、

他の人々が裕福であっても、武士は金持ちと同様に尊敬される。

それに大部分の人々は貧しいが、

武士もそうでない人も貧しいことを不名誉だと思っておらず、非常に誇り高い民族である』

『知識欲があり、神のことも、自然現象のことも、新しい知識を得ることを切に望んでいま

す、なので日本人の質問に答えるために学識ある神父が必要です』

と当時の日本人がいかに誇り高く、知識人が多く、知識欲も強く、

質の高い神父が必要かをザビエルは述べています。

 

『ヴァリニャーノ』・イタリアの名門貴族 1579年〜89年・90年〜92年・97年〜1603年

3度日本を訪れた、イエズス会の司祭

 

『日本人は極めて礼儀正しい、一般庶民、労働者に至るまで、礼儀が浸透している、

この点において、他の東洋の民族のみならず、我が国のヨーロッパ人より優れている』

 

『国民は有能で、秀でた理解力があり、学問をよく学びとる、

また、下層の人々の間にも、我らヨーロッパ人の間に見られる、

粗暴や無能力というものがなく、一般的に皆、優れた理解力を有し、

上品に育てられて、仕事に熟練している』

 

『日本人の家屋は、藁で屋根を作り、木造である、そして極めて清潔であり、

コルクのような畳というものが敷き詰められ、清潔で調和が取れている』

 

幕末

ペリー・アメリカ海軍提督 『鯨を取るための補給基地が欲しい』と、

日本(幕府)に開国を要求

幕末日本は鎖国しており、外国の船を海岸で見かけると、即座に砲撃し追い返していた。

しかしペリーが乗ってきた、いわゆる黒船は、世界で初めてペクサン砲と言う大砲を搭載

ペクサン砲とは・・・・大砲とといえば砲丸を筒に入れ火薬の力で押し出す兵器で、

筒そのままなので上にしか撃てない、しかし、ペクサン砲は水平に撃てて、

しかも落ちたら爆発する爆裂弾を装填していた。

このことに仰天した幕府は、大騒ぎになり、徳川幕府の終焉を迎えるのである。

ペリーの言葉『日本には資源がある、捕鯨船の補給基地にはピッタリだ、

しかし日本人は鎖国しており世界の国とは、付き合わない方針のようだ、

だが日本は日本人だけのものではない、国際諸国と絶縁している権利は日本には無い!

開国しないのであれば武力で奪うのみ!』

当時の世界は欧米列強が世界を暴れ回り、

独立して国家を維持できていたのは、

日本・タイ・シナは(当時欧米により切り取られ中)ぐらいなものだった。

 

ハリス・初代米国総領事 1856年来日

『諸外国はこぞって、強力な艦隊を日本に差し向けるだろう、

そして日本は屈服するか戦争をするしかない、艦隊の要求は、

私のように単身で日本に来て談判をするような、穏和なものではない、

諸外国はシナのようにアヘンを押し売りしてくるだろう、

しかし私は日本にアヘンを持ち込む事を禁止したいと思っている。』

 

エドワード・モース アメリカ動物学者 1877年来日 大森貝塚を発掘

『人々が正直である国にいることは実に気持ちがいい、

私は財布や時計の見張りをすることがなくなった、

日本人が正直者であるというもっとも良い実例が、住居に鍵も錠もない、

いや鍵をかける戸もない』

『もっとも貧しい寒村ですら、壁に掛けられた書物が古典の一部と知った時、

日本人の方が風流の点において遥かに優れていることに同意した』

 

日露戦争

ハーバート・ポンティング イギリス写真家 1901年来日

『ある日、駅のホームに立っていると、そこにロシア軍の捕虜を満載した列車が入ってきた、

皆、戦争から解放された喜びで、大声をあげたり、歌を歌っていたりした、

ちょうどその時、反対の方角から別の列車が入ってきた、

それは日本の兵士を満載した列車で彼らもまた、

前線に行く喜びで同じように歌を歌っていた、ロシア兵と日本兵はお互いの姿を見るや否や、

どの窓からも大勢が顔を突き出し、皆で歓呼の叫びをあげた、

ロシア兵も同じようにしてバンザイを叫んだ、

列車が止まると、日本兵は外に飛び出し、捕虜のところへ駆け寄り、

煙草や持っていた食物を惜しみなく分かち与えた、

私が今まで目撃した中でも、もっとも人間味溢れた感動的な場面であった』

 

ラビンドラナート・タゴール インドの詩人・思想家

アジアで初めてノーベル賞を受賞 1916年来日

『アジアで日本だけが、ある日突然、欧州が世界を制覇したのと同じ力で、

欧州に逆襲できると考えたのである。』

『しかもわずか数年で日本は欧州の力を掴み取ったのである。

歴史上、これほど驚愕すべき出来事は前例がない』

 

海外の著名人ではないが、日露戦争での美しい話として、

日本人が知っておかねばならない話があります、

それは乃木希典大将の水師営の会談です、

この会談では、戦争に勝った日本と、負けた側のロシアの大将が顔合わせをする会談です

通常、負けた側の国の大将は、武装解除させられ、何もできない状態にさせられます、

しかし日本の明治天皇からの電報で、『敵の大将ステッセルが祖国のために力を尽くした事を

讃え、武人としての名誉を傷つけてはならない』と乃木に伝え、乃木も部隊全体に周知させた

乃木は、ステッセルに帯剣を許し、ステッセルも感謝した、

その後ステッセルも『自分は乃木のような大将と戦って敗れたのだから悔しくはない』

と語っている、しかしステッセルはのちに、負けた代償として死刑を言い渡されるが、

そこでも乃木が嘆願を送りステッセルはシベリア送りにとどまった、

ここで乃木は、残されたステッセルの家族にその後、送金を繰り返したのです。

 

日米開戦 大東亜戦争

日米開戦の発端である『真珠湾攻撃』にいたるまでには、色々とある、

二度と戦争はしていけません、戦争を避けるためなぜ日米開戦にいたったのかを、

考えておかねば、また同じことを繰り返すのではないでしょうか、

日米開戦までの道のり

日露戦争後、日本は米国大統領の仲介で『ポーツマス条約』を結ぶ、

この条約には、満州より撤兵が書かれており、

その後の満洲国建国に際し、懸念事項になっています、

満洲国建国、傀儡政権だと国際連盟はリットン調査団を派遣、

それを不服とした日本は国際連盟を脱退、日本の孤立が始まる、

満州の治安維持のため、中国本土への攻撃に踏み切る、その後泥沼の『日華事変』へ発展

欧米が中国軍を支援するため、仏領インドシナから武器を提供、この輸送路を遮断するため

日本軍は仏領に進出、仏領に進出するということは、欧米との対立を明確にする事です、

インドシナの目の前には、フィリピンがあり米国です

米国は対抗処置として、石油の全面禁輸を行いました、

当時の日本はほとんどの石油を米国から輸入していました、

この時の首脳部はあまりにも国際感覚が欠如していると言わざるおえません、

 

しかし、この裏でソ連のスパイの工作や共産党思想に感化された日本人が、

暗躍していたことを忘れてはいけません、

当時コミンテルンというソ連共産党の出先機関が世界中にあり、

世界で工作活動をしていました、もちろん米国にも浸透工作はされており、

近年米国が発表した、当時のコミンテルンが本国に向けて送った、

暗号電文『ヴェノナ文書』では、ルーズベルトの周辺には、数多くのコミンテルンのスパイが

いたことが明らかになりました、

日米のコミンテルンの目的は、それぞれの国に浸透し、お互いに(日米)を歪みあわせ

戦うように仕向けること、そして日本が弱ったところで、侵攻するというものです。

史実でも、ソ連は日ソ不可侵条約をいとも簡単に破り、日本の終戦直前に侵攻してきました、

ソ連の侵攻の悲劇は、それは無惨なものでした、無惨すぎてここでは語れません、

コミンテルンの手口は、今の中国共産党が同じことをしています、

日本に浸透し、政府に入り込み、弱みを握り、政治家や実業家を買収し、メディアを操り、

地方にから少しずつサラミ戦術でおしてきています、

現代日本で同じ事を繰り返さないためにも、歴史に学ばなければなりません、

 

当時の日本においての、ソ連の浸透工作のさいたる例は、二・二六事件でしょう

二・二六時件は、昭和11年2月26日 青年将校らによって、

日本の中枢を乗っ取られた事件です、

天皇を中心し、腐敗した政治家や資本家に天誅を下し、

天皇親政を実現させようと反乱しました、しかし、巧みに天皇を持ち出したり、

右翼の反乱と偽装はしていましたが、

その実コミンテルンに操られた、全体主義、共産主義思想の左翼の反乱です、

その証拠に、ソ連のスパイとして入り込んだゾルゲが事の顛末を本国に報告しようと、

近くをうろついていました(のちにゾルゲ事件で逮捕される)

当時のソ連からの浸透工作が日本を蝕んでしたかよくうわかる事件です。

 

ルーズベルト・第二次大戦中の米国大統領

1941年11月25日ホワイトハウスにて『日本人は元来警告もせずに奇襲をやることで悪名高い

から、米国はおそらく次の月曜日12月1日ごろに攻撃される可能性がある』

ヘンリー・スチムソン陸軍長官

『当面の問題はわれわれが大きな危険にさらされる事なく、いかにして、

日本側に最初の火蓋を切らせるような立場に追い込むかだ』

『私がハルに(ハルノートを草案した)暫定協定はどうなったか?とたずねた時、彼は「私は

日米交渉から手を引いたよ。これからは陸海軍の出る幕だ」と付け加えた、私はなんの後悔も

憂慮も感じなかった』

ここにある通り、米国はコミンテルンが側で誘導していたとはいえ、

どうやって日本を追い込み、先に手を出させ、戦争を始めるかを協議していたのです。

そして、日本に攻撃を受けた事を口実に、ヨーロッパに介入する事を目指したのです。

現に真珠湾攻撃の後、ヨーロッパに参戦し、これによりヨーロッパ戦線は連合国側に有利に働

くようになり、勝利を納めたのです。

かくして1941年12月8日未明 日本は真珠湾攻撃に踏み切りました、

 

チャーチル・第二次大戦中 イギリス首相

日本の真珠湾攻撃の後

『17か月の孤独の戦闘の後、われわれは戦争に勝ったのである、イギリスは活きるであろう、

英連邦は活きるであろう、戦争はいかに長く続くか、どんな風に終わるか、

その時、私にはそんな事はどうでもよかった』

『ヒトラーの運命は決まった、ムッソリーニの運命も決まった、日本人に至っては、微塵に砕

かれるであろう、あとはただ圧倒的な力を適当に使うだけのことだ』

さいごに

マッカーサー・連合国最高司令官

『私は日本国民に対して事実上無制限の権力を持っていた、歴史上いかなる征服者も、

私が日本国民に対して持ったほどの権力をもったことがなかった』

『私の思いは、まず軍事力を粉砕し、戦争犯罪者を処罰し、憲法を近代化する、そして自由で

責任あるメディアを育てる、教育を改革し日本国民を育てる』

今の日本国民はこのマッカーサーの思想のもと作られた日本人にすぎません、

約七年間の占領の末、歴史教育によって日本人を洗脳し、メディアを育てた結果、

とんでもない反日メディアを作り上げ現在も稼働中なのです、

日本が独立した後、独自に教育もし、

自己検閲などをしない気骨のあるメディアが残っていれば、

今の日本精神にはならなかったでしょう、

戦後日本はめざましい発展をとげ、先進国に返り咲きました、

しかしその日本も経済のみを追求した結果にすぎません、

戦後の防衛を米国に任せ、軍事費を浮かした上での経済発展です、

今現在は、経済も困窮し、政治も停滞、中国にいいようにやられ、GDPも抜かれました

軍事費も中国がとっくに追い抜き、軍事力も抜かれています、

かつては『米国に頼ってばかりでは日本の発展は無い』という議論も成り立っていたかもしれ

ません、しかし今に至っては、その議論も空を切るばかりになってしましました、

今、アメリカに愛想をつかされればたちまち中国になってしまうでしょう、

しかし、国を守るにあたり、軍事だけではないと私は思います、日本人が日本人であるという

誇りを取り戻し、断固として国を私たちの手で守る、気概を持てば、自ずと政治も動き、企業

も動き、米国も動きます。

それには、われわれ日本人が、しっかりした歴史観を持ち、日本人の誇りを取り戻し、

かつてのコミンテルンに操られたような、無様な醜態を晒すことには、陥ってはなりません。

しかし今、私たちが暮らす日本は先人が勇敢に戦った結果なのだとゆうことも、

忘れてはなりません、特攻隊の死は無駄だったという日本人がいらっしゃいますが、

今の日本を外敵から守ってくれているのもこの特攻があったおかげ、

だということも忘れてはなりません、以前、自衛隊の空将だった方が中国軍の方に聞いたこと

があったそうです『なぜ、われわれが憲法に縛られて、なにもできないのを知っているにもか

かわらず、強引に領空に来ないのですか?』

中国軍『あなたたち自衛隊は日本人でしょう?かつての特攻を行った国なのだから憲法があっ

ても最後は戦うでしょう?』

この会話にある通り、今でも先の大戦で国を守ってくれた方々が、日本を守ってくれているの

だと思います、しかし、それに甘えているのも、もう限界がきています。

日本人自身が覚醒し、ひとりひとりが考え行動する時期にきています。

がんばりましょう、日本が、未来永劫つづくように。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

感謝

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