日本のモノ作りは3万8000年前 石器 縄文

岩宿・縄文

つるっつるだね。

3万8000年前 人類最初のモノづくり 日本

最終氷期

海面は現在より60m下にあった。 

 

 

猿と人との決定的な違いはモノづくりで、それは石器から見出すことができる。

石器には二種類存在し一つは、石を叩いて作る打製石器で、これは簡単な物なら猿でも作ること

が確認されています。

もう一つは、割った石を用途によって磨いて加工したものが磨製石器です。

磨いて作ることから磨製と呼ばれこれは猿には作れません、したがって磨製石器こそ人類最初

のモノづくりの痕跡と言えます。

現時点で世界で最も古い磨製石器は日本列島から出土しています。

昭和21年アマチュア研究家の相沢忠洋氏が群馬県岩宿遺跡の関東ローム層の中から石器を掘り

出し我が国の考古学史上の大発見となった。

世界では打製石器から始まり磨製石器を作るようになり次第に土器を作るようになるが、

なぜか日本列島は打製石器と磨製石器が初期の頃から併用されている痕跡がありこの理由は

いまだに謎とされている。

岩宿遺跡の磨製石器は3万5000年前のもので、その後の調査により全国から次々に出土するこ

とになります現状では3万8000年前のものが出土している、世界最古のモノづくりは日本列島

から始まったと言っても過言ではないでしょう。

最終氷期2万年前

現在より2万年前は最終氷期の中で最も寒くなり海面は現在より125m〜130m下だったと言わ

れています。

氷河期の終わり 縄文時代1万1000年前 (縄文海進)

今から約1万年前日本列島は大陸から切り離され、真の日本列島に近づきつつありました。

現在より1〜2m海面が上

約8000年前に現在の列島の形になりました。

長かった氷河期が終わり、温暖な気候になるにつれ海面が上がり、木々が生い茂げ食物の豊富

な土地になりました、また海が内陸に入りこむ事により多くの入江が形成されました。

このことにより海の幸・山の幸四季が生まれ四季折々の豊富な豊かな土地になりました。

ここで余談ですが、われわれ日本人は寿司屋に行けば何十種類ものメニューがあるのが当たり

前に思ってないだろうか。それは世界的に見てかなりレアなケースと言ってでいいしょう。

例えばハワイ・グアムなど海に囲まれた島では魚が豊富に取れると思いますか?

答えはNOです、まず大きな川がハワイにはありません、高々と木々がそびえる、養分豊かな森

がありません。

魚はいます例にあげればこれはよく見る魚ですオカパカパカマヒマヒ

魚が育つには入江・海藻・豊富なプランクトンそれは栄養の宝庫の緑ある山であり

栄養を運ぶ流れる川であり、魚が住める入江であり産卵する海藻なのです。栄養にプランクト

ンが集まり、小魚が群れ、中型魚が集まりと言った壮大なサイクルで日本列島を豊かにしてい

るのです。

そんな大地が今でもわれわれのすぐ足元に今でも横たわっていると思うと日本に生まれて本当

によかったと思えてきます。

縄文土器 世界最古

縄文時代のはじまり

日本では縄文土器を作りだした時代から縄文時代と定義している

縄文土器とは、縄の模様がほどこされ 黒褐色の素焼き 低温で焼き上げるため

厚手でもろい特徴がある

有名なのが火焔型土器

その他にもいろいろな種類があるので調べてみても面白そうです。

参照に

主な用途、煮炊きや貯蔵に用いる。

近年世界の土器文化の時期が大幅に修正された。

従来のロシア・グロマトゥーハ遺跡の土器が約Ⅰ万5000年前のもので世界最古だった。

しかし

青森県の大平山元1遺跡

から出土した土器を年代測定(AMS法・調べたけどよくわからないけど正確らしい)した結果

1万6300年前だった、この測定の結果、これまで考えられてきた縄文時代のはじまりが

4000年さかのぼった事になる。そしてこの土器は世界最古の土器となった。

ちなみにこの土器には調理のあとが残っていたらしいです。

このことから土器を縄文時代と定義するなら今から約1万6300年前からという事になる

この時期はまだ最終氷河期の終わりかけの時代です。

土器が作られた事により、狩猟採集を中心にしながら定住化が進み、煮炊きをし食物の貯蔵

が出来るようになり厳しい氷期を生き抜いたと思われます。

縄文人の生活

氷期を乗り切り温暖化が進んだ8000年頃

縄文人は弓矢・石斧・動物などの骨から作った釣り針を使い、狩猟採集をしながら

煮炊きをし、食物を貯蔵出来るようになったため酒をかもした事もあるようです。

竪穴式住居に住み定住するようになりました。

また、丸木をくり抜いて舟を作り航海をしていた事もわかっています。

また縄文時代は戦争の跡がほとんど見られない、これまで縄文人骨は6000体見つかっています

が戦傷のある骨はわずか20体ほどで極めてまれな事例だったようです日本の縄文時代は

1万年以上戦争のない穏やかな暮らしだったと思われます。

土偶

縄文時代の謎として土偶があります。

これは今現在なにに使われていたのか、まだわかっていません。

祭祀に使われていたと推察するのが今の段階では限界のようです。

わかっている事、右のイラストが有名ですがこれは遮光式土偶と言われサングラスをかけてい

るように見える事かららしいです。宇宙服だ!!と言っている方もおられるそうです。

個人的には宇宙服説が楽しいですけど、そんなことはないですよね?( ̄∇ ̄)

性別があるなら女性的です。

出土状況は、遺跡があるあちこちにバラバラにされて埋められていたようです。

この状況からゴミとして捨てられてはいないと言う事になります。

多分何かの儀式だったのでしょう。

縄文人は目に見えない何かに畏敬の念を抱き、自然をおそれ利用してきたのだと思います。

先祖に感謝し、大自然との調和を重んじる日本人の価値観は縄文人が起源だったのかもしれません。

三内丸山遺跡

縄文人は5000年前から栗の木やヒョウタン・エゴマなど、縄文縄文後半には瀬戸内海から北九

州にかけて米をすでに栽培していたことがほぼ確実になっている。

青森県の三内丸山遺跡は縄文人像を大きく変えさせた

この町は年代約5900年前から4300年前までおよそ1600年間営まれた、広さ35万ヘクタール

の巨大遺跡です。1600年間は尋常ではないです。

居住跡は3000棟以上

交易 糸魚川のヒスイ・岩手の琥珀・秋田のアスファルトが出土、これは他のコミュニティー

との交通網が構築されていた。

縄文人は毛皮をまとい文化もなくウホウホ的なイメージが今の科学の発達で覆っています。

それに縄文人は土偶や自然崇拝のように万物を神と捉えるアニミズムの原点を見出す事が出来

るだけでなく、屈葬に見られるように先祖崇拝も見られるこのことから、この二つとのちの弥生時代の農耕文化と融合しさらに発展し現在の神道につながると考えられる。

古事記の世界観はこの頃から土台が出来てきていたのでしょう。

時代は弥生時代へ

 

 

 

 

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