こんにちは、アジア研究所の所長のKIYOSHIです。
今回は岡山にある、造山古墳と、楯築遺跡に行ってきました。
岡山は太古の昔は、吉備国と言って、ヤマト政権と同格の力を持つ勢力だったようです。
次第にヤマト政権に従うようになったか、同格として一勢力のまま、
日本を盛り立てて行ったのかは定かではないですが、当時、岡山から広島東部を領域とした、
一大勢力があったことは間違いないようです、今回紹介する、造山古墳は全長350mで
全国第4位の大きさの前方後円墳です、ヤマト政権の中でもとびきり力のある、首長が
おさめていたのは確かなようです。
造山古墳
楯築遺跡
温羅(うら)伝説、昔、温羅と言う鬼神が朝鮮半島からやってきて人々を困らせたそうです。
鬼ノ城 温羅が拠点としてこもった山 鬼ノ城縁起によれば温羅は百済の王子とされています
そこでヤマト政権は、吉備津彦命を吉備に派遣し、これを退治しました、
この伝承から今に伝わる桃太郎伝説に変化していったと考えられます。
遺跡として、温羅と対峙した時に盾に使った楯築遺跡(たてつきいせき)
古墳の上に、ストーンサークル環状列石があり、
縦1m〜2mほどの岩が円形状に並んでいます。
温羅が鯉に化けて逃げようとしたところ、吉備津彦は鵜に化けて捕らえた、その場所にあるの
が鯉喰神社、ご祭神は吉備津彦の臣下、佐々森彦命と温羅
温羅は悪さを働いて、皆を困らせ吉備津彦命に退治されますが、
吉備津彦と一緒に神社に祀られているのは、首を刎ねられてなお、
唸り声を上げ続けた温羅の首を埋めたと伝わる御釜殿があり、
そこでは釜の音で吉凶を占う「鳴釜神事」が行われています。
この神事に仕える女性は「阿曽女(あぞめ)」と呼ばれ、
温羅の妻であった阿曽媛(あそひめ)の郷の女性が代々奉仕しています。
なので、一概に温羅が悪者としては伝わらなかったのかもしれません、
岡山では桃太郎のモデルの吉備津彦だけではなく、夏祭りの催しとして、
ウラジャなる、盆踊り的な踊りがあり、温羅もリスペクトする風潮があるようです。
今日はここまで、ありがとうございました。
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