出雲を追われたタケミナカタのその後

古事記

今日は、古事記の外伝的なお話になります。

国譲り神話でタケミカヅチと対決して、諏訪へ逃亡したタケミナカタは、

『この地を出ることはしませんから』とタケミカヅチに許しを乞い、

見逃してもらった神様です、

 

 

詳しくは、過去の記事、国譲り神話をどうぞ

しかし、諏訪大社に祀られていたり、軍神として崇められたりと、

『なぜ?弱い神様を祭るのか?崇めるのか?』など

何かと腑に落ちないところがある神様です、

タケミカヅチに追われた、タケミナカタはその後どのようにして、全国で祀られ、

軍神としての地位を獲得したのでしょう?

それは、このタケミナカタのその後を知れば納得のいく話です。

タケミナカタは諏訪から出ない事を約束をしましたが、

その後どのような暮らしをしていたのか、それは、諏訪側から見てみるとよくわかります、

と言いますのが、諏訪にももちろん人は住んでいるわけで、

土着の人々から見れば、タケミナカタは他所からきた、新参者でした、

しかもタケミカヅチに挑むような神様です、それは強かったのです、

現地民の中にも豪族がおり、

その豪族からしてみれば、タケミナカタは侵略者であり敵になります、

現地民は、狩猟採集文化を営んでおり、タケミナカタ側は農耕民族です、

それは諏訪大社の位置関係や祭祀の内容にも、その痕跡があります、

現在の諏訪大社の位置関係は、

https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu009006/引用

諏訪湖を挟んで、北にありますのが、下宮が二つ、南にありますのが、上宮が二つです

この二つは当時の勢力の拠点になっていたと考えられます、

諏訪湖を挟んで10㎞も離れていることが、その現れです。

しかも祭祀にも、狩猟文化と農耕文化の特性が出た祭祀がみられます。

上宮の御頭祭や御射山祭といった、狩猟民族、特有の祭祀があります

一方、下宮には筒粥神事など、農耕民族、特有の祭祀が多くあります。

狩猟民族が祀っていた神は、『縄文時代から地母神信仰のルーツと言われるミシャグチ神』

を奪い取ってできたのが後の下宮、諏訪大社なのです。

ミシャグチ(ミシャグジ)とは「御石神(ミシャクジン)」のことで、

石や木、あるいは森や山や川・沼などの自然造形・現象そのものを神として扱う

縄文時代の原初的な自然崇拝=アニミズムが残存した神である、

その後、中世になり、各大名が守護神にしたため、

全国に広がり、現在の地位を獲得したのです。

 

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