超絶ざっくり古事記⑥ 建国 神武東征(じんむとうせい)

古事記

ざっくり古事記 建国の父 イワレビコの思い

ウガヤフキアエズの命とタマヨリビメの子

五瀬命(イツセノミコト)

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)のちの神武天皇(じんむてんのう)がいました。

ある時、イワレビコが兄の五瀬命に

イワレビコ・「どこに住めば、平和に天下を治めることができるのか、

       東に行ってみませんか?」と言いました。

この頃の日本は小国が、食べ物なんかで揉めて、

各地で争いが頻発(ひんぱつ)していました。

なのでのちの神武天皇は、なぜ同族同士で争い合わなければならないのか、

みな家族で、日本は全員の家ではないか、奪えばなくなるが分け合えば余る

こんな気持ちを持っていました、これはのちの建国の精神になります。

神武東征(じんむとうせい)

二柱は平和に天下を治めるため、船で日向(九州南部)を出発したました。

豊国の宇佐(とよのくに・うさ大分県)に立ち寄り、

筑紫の岡田宮(つくしのおかだのみや福岡県)に1年過ごしました

次に安芸国のたけりの宮(あきのくに・広島県)7年過ごしました。

次に吉備の国 高島(岡山県の児島あたり) 8年過ごしました。

各地の長(おさ)たちは戦いに疲れ果てていたので、ご馳走を用意して迎え入れました。

ナガスネヒコとの戦闘

次に浪速ノ渡(なみはやのわたり)(大阪の沿岸部)に船をすすめました。

ちなみに、なみはやのわたりは現在の大阪ナニワ(なにわ・なんば)の語源です。

そこには登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)が戦いを仕掛けてきました。

この戦いで五瀬命は手にケガをおってしまいました。

五瀬命は「われわれは日の神の御子(みこ)なのに日に向かって戦ったのがよくなかった

     これからは日を背にして戦おう」と言いました。

なので紀国(きのくに・和歌山県)に回り込み、ヤマトの地を目指しました。

しかし、五瀬命はケガが悪化し命を落としてしまいます。

その後、兄の意思をついでイワレビコが旅を続けました。

八咫烏の道案内

そこで高天原(たかまがはら・天界)から八咫烏(やたがらす)が助っ人にやってきて

道案内をしてくれました。

やがて、ニギハヤヒの命(みこと)に出会います。

ニギハヤヒは先に天下り(あまくだり・天界からこの地に降りてくること)をしていて

ナガスネヒコの妹と結婚して、先にヤマトをおさめていました。

しかしイワレビコがやってくると、同じ先祖をもつ同族なので正当な後継者の

イワレビコにヤマトの地を譲ったのです。

なので五瀬命の命を奪ったナガスネヒコもしたがいました。

ニギハヤヒはその後、神武天皇にしたがい、

のちの武を担当する物部氏(もののべ)武士の祖先になりました。

このように、各地を説得して周り、時には戦い、奈良県の橿原宮(かしはらのみや)で

即位(そくい・天皇になること)されました。

天皇の誕生です。

すなわち建国です、紀元前660年 旧暦1月1日

現在の2月11日が建国記念日になっています。

イワレビコはのちに神武天皇と呼ばれることになります。

建国の精神は前述していますので、そちらを参考にしてください。

建国の精神

最後まで読んでくださり、ありがとうございます

感謝

 

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